やっと分かってきた

問題は,乗り越えが描けなくなること自体なのか.そこまでの説明は動物化なんちゃらの,メディアからの言い直しみたいなものだけど,それによって起きてしまう「乗り越え不能」現象が問題.文学は乗り越えを描く(もしくは周縁を描く)ものだから,仕方なく「擬似乗り越え」を書くんだけれども,それは逆に乗り越えを記号化して取り込んでしまって,小世界自身を強化する(自慰行為ではない.おそらくコミュニティには受け入れられる)方向に働いてしまう.そんなものなら書かないほうがマシなぐらいだ.
自分たちの言語で他の世界を表現できず,書き手が別の世界のことを頭で考えることができなくなってしまう.それは仕方が無い.解決としては,人生費やして,本当に別の世界にどっぷりはまってみる(身体性)ことだけど,恐ろしいことに将来的にはそうやって渡り歩いた複数の世界を,自分で全く統合できないということが,じゅうぶん予想できる.その小世界の完全性ゆえに.
文明の衝突」理論からすれば,人間の歴史は村同士の抗争から始まって,どんどん勢力(≒言語)は共通化・普遍化されていって,国同士,民族同士と来て,最後に「文明」同士が衝突し,ひょっとするとどっちかが勝って地球は統一される.イスラムキリスト教は間違いなく乗り越え不能な二つの文化として,今全面戦争中.
これに比較するとネット上の小世界は衝突すらしない.抗争というのはコミュニケーションの一種であり,その暴力性に比例して「乗り越えなきゃ」という訴求力を生む.だが,ネット上の小世界はお互いのことを認識すらしない.むしろ乗り越えなくて済むように,「擬似乗り越え」で自分を強化している(それが「普遍的に」言えるのかどうかは検証できないが).
多分それは,ネットが有限の共有リソースを持たないからだ.通常,動物同士の争いは,リソース競合を巡っておきる.物理世界では,昔から土地や異性や財産や支配権などを巡って以下略.でもネットでは,そこまでして争って勝ち取るものなど無い.しいて言えばトラフィックぐらいだが,トラフィックは無限ではないにせよまだまだ限界ではないし,小世界が形成されてしまえば必要なトラフィックはその中で得られるようにもなる.争いが無いところ,コミュニケーションはおきない.
のだろうか.
最近の興味(というか,他人に言われて気をつけるようにしていること)として,MMORPG内の経済行為がある.仮想世界ではあるが,有限(市場原理に従う)のリソースを巡って,人々が自分に役割を割り当て,社会の中の立場を作って働いている.今はまだそうしたRPGの持つ世界観は現実世界のコピーでしかなく,面白みのかけらも無いが,小世界を作ってまで引きこもりたい我々の欲求を満たすような仮想のMMO社会を作り上げ,その中で生活することができれば,再び統合できる日も来るだろうか.


えっと,つまり,ツンデレ係をやって生活できればいいなあと思うんですけども.(問題すり替えすぎ)