この銀河で初めてのバグ

#もはや元ネタの欠片もない感じ。

from 例によって/.J[slashdot.jp]

1947年、Hopper女史がHarvard大でリレー計算機MARK IIのテスト中、蛾(moth)が入ったのを駆除したのが始まり。"debug"した、という言い回しもこの時らしい。HopperはCOBOLの母。というか(高級?)(非関数型?)プログラミング言語の母。最初のちゃんと計算機上で動くコンパイラ(A-0言語)を作った。Murrayがmaiden nameでHopperは旦那の名前だが、旦那が1945年に戦争で亡くなっても(子供も居なかった)終生Hopperを名乗った。バベッジをサポートとしたと言われるAdaと並んでコンピュータ前史の萌えキャラと言えるが、実績で言えばHopperが遙かに上だろう。

Grace M.Hopperは、Harvard Universityで、Howard Aikenの下でMARKシリーズの設計に加わった。MARKシリーズはIBMの出資によるものだが、IBM ASCC[ibm.com] (Automatic Sequence Controlled Calculator)としての文脈では、Hopperの名前は出てこない。HopperがASCC(Mark 1)に関わったのは最後の一年らしい[digidome.nl] 。同じところの情報によれば、AikenがHarvardでMark Iを一般公開した際にIBMの寄与に触れなかったため、IBMとHarvardの協力関係が終わったとされている。
MARK Iは超大型リレー計算機だが、データは歯車やダイアルで保持された。1944年に完成。Hopperは500ページのマニュアルをまとめ、she outlined the fundamental operating principles of computing machines.[sdsc.edu]
MARK IIは1942年着手、1947年に完成。全て電子式となった。
Hopperは軍人家庭に生まれ、研究所や大学で働いていた間もずっと軍に所属していた。1986年退役時にはRear Admiral(海軍少将).