脊髄反射と思考の違い

それはコミットメントであろう。


群衆の叡智スーパーフラット炎上劇場の違い。

それはアテンションが基づくコミットメントの強さであろう。

岡田記者による梅田望夫インタビュー(前編 後編)は、いみじくも梅田氏が言ってのけたとおりの、ヘイトスピーチまみれのはてなブックマークを前後編合わせて2300件も集めた。特に秀逸なのがy_arim氏のコメントだ(あれ、消えてる?)。

y_arim 岡田有花による「望夫おろし」。笑いが止まらん。っていうか慶應幼稚舎出身だろ?人生の最初から階層が違ったんだよ、ハイブロウが好きとかじゃなくて。むしろwebによって相対化され無化される側だったんだよお前は! 2009/06/02

あるいは、otsune氏はmojix氏の梅田解説記事へのブクマコメントに、こう書いた。

理解不明・残念」「あまりにも子供じみた・揚げ足取り」みたいな皮肉や貶しを書く人には、同じ強度の皮肉や貶しが帰ってくるのが当然。それがフラットだし同じ人間として尊重してる

これらの言葉には、相手がその言葉を吐くためにどれだけの思考と時間を積み重ねてきたか、その重みを吟味する姿勢は全くない。Web上に載せられた言葉は全て切り離され、単なる文章になるという、スーパーフラットな世界を仮定した言葉だ。彼我の別がない究極の平等を志向する。それはつまり、自分の身勝手な発言は、相手の言葉と同じ重みを持つはずだ、自分と同じく相手も適当に発言してるだけだという幻想だ。
しかしそれは間違っている。

梅田望夫の発言だからこそ、相対化することに意味があるのだ。

確かに梅田氏は相対化され、無化される側である。なぜなら価値のある人間だからだ。Webと一般社会の橋渡しを誰よりも上手くおこなった業績は、多くの人間が認めている。そしてそのWebへの失望を他ならぬ梅田氏がはっきりと述べたことの価値は、そこに与えられていた評価を皆が承知しているからこそ大きい。あなたや私の発言を幾ら相対化しても大した価値は生まれない。一人の人間が全力を尽くしてWebを咀嚼・総括し、誰もが認める成果を継続的に出す。そのぐらいのコミットメントとアテンションがあって、初めて相対化する価値がある言葉となり、解体する価値のある権力となり得るのだ(それを権力と呼ぶのは明らかに間違っているが)。
そして、まさにこれこそが梅田氏の望んだハイブロウな世界だと思う。しかし少なくともWebに関して言えば、梅田氏を相対化するだけの、Webへのコミットメントを持った人間は、今まで6年間現れなかった。やっと今、梅田氏の発言を最終的に解体した(それとて本人の力を借りて、というかほとんど自爆幇助に過ぎなかったが)のは岡田記者だった。Webを仕事とした二人が世代交代を果たしたのだ。

  • そのことに価値がないと本当に言えるのか?
  • コミットメント、自分の全力を尽くすこと、それを「エリート」と呼んで抹殺する村意識に本当に未来はあるのか?
  • そもそも、一人の人間を多数の罵詈雑言が引きずり下ろす行為を「相対化」などと呼べるのか?

はっきり言って、梅田望夫 VS ひろゆき(+岡田)では足りない。2人では単なる二元論にしかならない。相対化のためには少なくともあと1人、できればあと3人ぐらいは欲しい。それがいない。そこが「残念」だと思う。そしてそういう事態がWeb上の様々な議論のステージにおいて発生しているのではないか*1
エリート主義? しかし、胸に手を当てて良く考えるべきだ。あなたがスーパーフラット的発言を好むのは、権力を罵倒する快感からではないか。無知をさらけ出す自分にも気付かず、自分の井戸を守った快感に酔いたいのではないか。あなたがアンチエリートの快感に浸るためには、エリートは存在しなければならない。そもそもfromdusktildawnもさんざん自覚しているではないか。しかも、それをもって幸福総量が増大するとまで言うではないか。

だから、他人の「偉さ」が減った分だけ、自分の「偉さ」が上昇する。

したがって、誹謗中傷揚げ足取り炎上によって、偉い人達の権威が失墜するとき、

自分の「偉さ」がそれだけ増大することになり、自分の幸福量は増える。


ネットの炎上は人類進化の必然で、健やかなる新時代を拓く鍵かもしれない - 分裂勘違い君劇場 by ふろむだ

つまり周囲に偉そうな奴がいなくなると、幸福はなくなる。もちろん、人はどんどん小さな差異を見つけ出しては、炎上戦を仕掛けるようになるだろう。取るに足らない人物の取るに足らない書き込みを見つけては、全人格を否定しにかかるだろう。その小さな幸福に全てを賭け、フツ族のごとく人を見れば鉈で斬り殺す集団に成り下がることを良しとする世界が、間違ったアンチエリート主義が到達する健やかな未来だ。もちろん皮肉だろうが。

そんな世界よりも、一人でも多くの「価値ある」「相対化されるべき」「思考する」人間を生み出す方が、私にとっては幸せだ。
しかし、Webのアーキテクチャは一人の人間を育てるようにはできていない。梅田氏が羽生名人の言葉を引いて見せたように、高速道路を走り終えると、最後の渋滞を抜ける自助努力はむしろ一層辛いものとなる。はてブを幾ら調整しようが、本質的な解決には繋がらない。せいぜい若干オブラートに包むぐらいしかできない。
そこが現在の最大の課題なんではないかと思う。

P.S.

それでも、fromdusktildawnのエントリは、初めて梅田望夫の言説に正面から立ち向かった言葉としての価値がある。
今回の件に関しては、 は本当に残念だった。
彼らは内心、梅田氏の発言はナイーブに過ぎるにせよ、至極もっともだと思っているはずだ。しかし、正面から同調したり、重要な点で適切な批判を加えたりすることはなかった。わざとらしく細部を取り上げて得意技を振りかざし、「良いこと言った!」で済ませようという後ろ向きな発言しかなかった。
何故か。
梅田氏の炎上っぷりに尻込みしたからだ。


私は(自身も含めて)脊髄反射は嫌いです。

*1:人口問題と文化的問題の双方が原因だと思うが、今回のエントリとは関係がない単なる直感なので割愛。日本は言論文化において巨大なハンデを背負っているのだから、欧米よりずっと努力すべきだ。