つれづれない - 受身な力学

PCのディスプレイ(およびスピーカ)から得られる経験というのは、完全に個人的だ。ディスプレイを見ているのは自分だけ、ヘッドフォンから流れる音声を聞くのは自分だけ、遠いニュースも知人の動向も、読むのは自分だけだ。全てのサービスは自分のIDでサブスクライブしており、購読するRSSには自分で設定したキーワードが散りばめられていて、Amazonのお薦めは自分の恥ずかしい趣味で汚染されている。自分に向けて発信される全ての情報は、自分独りで受け止めなければならない。情報を受け止めるというステップにおいて、そこには逃げ場が無い。これは一部の人にとっては全くのストレスである。

お茶の間のテレビであっても、家族や友人という緩衝材が入っていれば、少しハードな内容であっても、彼らがよろしく解釈してくれる。笑える場面であれば一緒に笑えるし、それをネタにした会話や軽い応酬があってもいい。深刻で心奪われるニュースであっても、彼らも真剣な顔をして見入っていれば、自分が真剣に没入したくなるのは正解だと安心できるだろう。もしくは、自分が興味を持てなくても、彼らがきちんと受け止めてくれているだろうと期待してもよい。そもそも、周りにも注意を払うべき対象があること自体が、自分の注意を一点に集中するという無防備な状態から自分を救ってくれる。
#自分の場合、夢中になって本を読んでいる時は楽しいが、ふと我に返って周りを見渡す時、恍惚が終わる寂しさというよりは、むしろ裸で放り出していた自分を確認して回収しなければならない動物的恐怖を感じる。
ディスプレイの前で得られる体験には、そうしたサポートがない。ディスプレイの前で次々と押し付けられる情報を吸収することは孤独で苦痛な作業だ。かと言って、ディスプレイから離れることも(様々な理由から)できない。そういうとき、情報体験の個人性が、BlogやSNSなどの、つながりを求めるサービスを外在化させる。結論を得たいわけではない。本当は、何かを解決したいわけでも、集合が導き出すという「知」に興味があるわけでもない。情報を自分ひとりでは消化しきれないから、社会性の中に放り出すしかないのだ。その働きはきわめて反射的にならざるを得ない。自己確認がどうとか、アテンションエコノミーがどうとかいう以前に、情報吸収のストレスから自分を守るための運動であるからだ。


情報吸収のストレス(もしくは欲望)と、それに対する防衛機制には、例えば以下のようなものが考えられる。

複雑で、読むのが大変
こんな大変なものを読んだんだから、何か言わなければ自分は無駄な時間をすごしたことになる。自分の能力不足で理解できないわけじゃない、複雑な文章を書くのは筆者の方に才能がないからだ。複雑な文章を書くのは、自分(のような層)に敵意を持っているからだ。
大量すぎて、読むのが大変
世の中には情報が多すぎるのだから仕方がないよね? 自分の時間はもっと重要なはずだから読まなくて良いよね? 仕事/プライベートが忙しいから読まなくて良いよね? まとめてくれたいい本が出たから、それを読めば良いよね? 以前はもっと上質な読み物があった、昔に戻ろう。…いいんだよ、必要になったらググれば!
せっかく時間を使ったのに、この話は以前読んだ気がしてきた
この著者はちゃんと考えてない。読んだことがあるのは大事なことだからだ。みんな言ってることは正しいことだ。みんな言ってることに対して自分は異を唱えられる、俺ってスゲー。
自分の中に、こんな下らない記事に同調してしまう部分があることが嫌だ
どうせ俺はそういう奴だよ、チ○ンは氏ね! 自分はそんな部分は持っていない、認めない。この人たちの下劣さには反吐が出る。そんなことよりサメの話しようぜ。
面白いネタだから盛り上がりたい。楽しみたい
紹介すればみんな面白いと思ってくれるだろう。ブクマで会話して楽しいな。もっと加工すればもっと面白い。キター。wwwww。
自分にとっては面白いけど一発ネタでしかない
wwwでスルー。自分の知っている他のものの方が面白い。紹介するのもあほらしい、見なかったことにしよう。いるよね、こういう痛い奴。こんなの面白がるなんて低レベルだね。
下らないアフィリエイトサイトに誘導されて本を買いたくなった
この程度のコンテンツで金取ろうなんてあり得ない、例え興味があっても絶対買ってやらない。そのことで興味があって検索した先のサイトで見つけたんだから、自分にとって意味があるはずだ。自分はこういう浅ましい金儲けすらできない負け組だけれど、このサイトよりは価値のある人間だ、このクリックは施しだ。自分がさっき検索した言葉に突然興味がなくなった。
こんな便利なものを自分は知らなかった
とにかく紹介して、知らなかったのは自分だけじゃないと思い込む。既にたくさんブクマが付いているので、出遅れた自分のことは忘れることにする、見なかったことにする。このブクマは自分のためのリマインダで、他人に比べてどうこうということじゃない(と、普段のブクマの使い道に反することを内心で主張する)。
世界においていかれてる気分だ
世界が悪い。web2.0が悪い。2.0てwww、みとめねー。google八分とか大問題だ、管理社会だ。そんなことより、今度オフ会しようぜ。
この記事こそ、まさに自分を書いている。みんな分かってくれ
このアイドルに超親近感覚える、とにかくコメント。礼儀正しくトラックバック、自分がいかにこの記事に感銘を受けたか切々と語る。誰も自分になんか興味を持ってくれない、高揚した気分も全て忘れることにする。


PCの前に座ってWebサーフィン(死語)しているとき、人は常に見えないストレスにさらされている。ある情報を前に、そのストレスが敷居値を越えたとき、人はどうしようもない衝動に駆られて思わずブクマとかコメントとか痛々しいエントリとか炎上コメントとかを上梓してしまう。何も考えてない、とそれを批判してはいけない。こういうときに考えてはいけない。考えること(自分のリソースを奪われること)自体、ストレスになるからだ。そうして、右から左へ、情報のストレスは形態を変えて伝播し、それを受け取った人がまた別の形に変換していく。web2.0社会は、アテンションエコノミー集合知のような、比較的ポジティブでアクティブな捉え方もできるが、同時にこのように極めて受け身な、人々のストレスを駆動力に情報を回していくモデルでも捉えることができる。我々には、退屈に任せた「徒然なる」様でいる余裕は残されていない。常に情報を代謝するよう、システムに組み込まれ、ストレスをかけられ続けている。


と、会社でイライラしながらweb見ていた時にふと思ったのさ。