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日本教という考え方は私の日本人観の根幹を成している(多分「日本教について」を読んだ気がするが,覚えていない.ベンダサンのどれかだ).理想人を求めたがる性質と,その理想性の性質は確固としている.にもかかわらず,日本教の存在を自らの意識から消去し,無意識と社会性のレベルでこれを忠実に守ってきた日本文化のおどろおどろしさには舌を巻く.
日本では,最も大切なものごとには名前を付けない.名前を付けると叩かれるからだ.論理性,伝達しやすさ,説明しやすさを犠牲にして,グループ社会の保守を最上におく.感情的解決を最優先するという割に,よく考えるとぜんぜん納得できない習慣を残しがちなのは誰もが知るとおり.そうした言説も,認知的不協和を押しつけて人々の価値観をねじ曲げ,社会の回路に沿わせるための単なるツールに過ぎないからだ.
ヒキコモリで非合理で匿名的祭り至上主義の農民文化は,今では2chとその周辺世界に継承されているが,記号化・コピペの方法論によって以前よりは消費的となり,被害者が自分の心を守ることは容易くなった(以前は,戯言を本気にして死ぬしかなかった).反面,祭りの力は完全な暴力となり,これを妨げることはほとんど不可能となった.


もっと細かいレベルを見ないと,本当のところは分からないな.