The Last Samurai その二

上記に補足。上に挙げたリンクの通りに、モデルは日本の時代劇ではなく、"Dances with Wolves"(dancesだったのか)である。日本版『ダンス〜』だと思うとしっくり来る。
もう一つ補足。武士道の神髄を『名誉』だとか『完璧』だとするのは、まあそれほど間違いでもないと思うが、それ自体は単なる言い換えに過ぎない。完璧とは何を意味するか。西欧人は、この映画でそれが分かるんだろうか。


で、上に書いた、テーマが日本人に直接関係ないという点。これは別に良いとか悪いとかいうことではなくて、単にそういう選択に過ぎず、あなたはその意味を知らなければならない、ネオ。
もっと明確に「これはダメだろう」と思うのはシナリオである。圧倒的にヒキが弱く、展開に意外性がない。シーン間の前後のつながりが薄い(たとえば土砂降りの中、真田広之トム・クルーズを木刀で打ちのめすところ。後々活かされるが、もう少し対比を増やさないと成長過程が良く分からない)。大村と勝元の対立が希薄で、構図が分かりにくい。忍者襲撃前後で何が変わったのかも、何を意図したものかも分かりにくい(大村が、天皇と勝元の会合を阻止しようとした。これが分かりにくいのは、天皇に対して勝元が持つ影響力が事前に描写されないから)。肝心の『サムライとは何か』の探求は、モノローグで説明されてしまう。淡々と出来事が並んでいて、ふつーにつまらん。アクションシーンは素晴らしいが、「サムライ・エンターテイメント」ではない(少なくとも向こうさん的には)以上、シナリオのダメさは糾弾されてしかるべきである。各所の戦闘の良さや演技で騙されるし、まあ騙された方が幸せだと思うタイプの映画ではあるのだが。
小雪トム・クルーズが惹かれ合う過程も良く分からないが、これはハリウッドだから仕方ないだろう。ツンデレ的には30点。つうかデレてねぇよ(もういいから!)


時代考証とか舞台設定とかは、いっそ日本ということを忘れ、『RPGに良くある日本風の国』だと思ってみると、ちょうどいい感じ。冬場に雪に閉ざされる村にソテツとか生えてるし。でも横浜とかは、かなり正しいのではないかと思われる。うっかりミスや、映像的都合による強調はあるかもしれないが、さすがに虚仮にするような真似は見せない。とにもかくにも、画面一つにかかってる資金が違う。
戦国武者がメイン張ってること(これはもう映像美追求の結果だろう)以外で個人的に一番違和感を感じたのは、これから冬だってのに田植えをしている(と思う。それとももう春だったのかしらん)とこかな。あと、あの水田は段々畑の一部であるべきなのに、一つしか見えなかったような気がする。というか、あの村の風景は色々な要素を詰め込みすぎなのだけど、これもまあカメラ的都合と、多少は資金的問題だろう。
もう少しイメージ的なことでは、『土』のイメージが薄く、草木のイメージが強かったことが、なるほどと思わせた。アメリカ人にとって、日本とは緑の国なのだろう。全体的に、サムライのイメージに清潔感(神々しさと言うべきか)がある。その中で気を吐いているのが真田広之で、彼一人が泥臭さを懸命に持ち込んでいた印象があった。
泥臭さという意味では、祭りをもう少し描写して欲しかった。祭りを楽しみにし、普段は質素そのものというハレとケを強調すれば、そうした『村の和を重んじる農民生活』と、それを真っ向からぶち壊す大村の忍者という対立(その裏には当然、サムライスピリットと近代合理主義という対立がある)も演出できたのではないか。さらには、ハレの一体感にまだ溶け込めないオルグレン大尉が居れば、撃退後の融和を効果的に見せることもできたかもしれない。この辺はやはりシナリオの練り込み不足。


あとは明日。