少し

説明責任がある気がするので。以下、色々と「何で決めつけてるんだよ」みたいな所がありますが、自分の中では割と昔に脳内議論が終了していることなので、少し断定気味かも。まあ適当に、話半分に流して下さい。

これらは並べた順に難しくなりますが、荒らされる側のゴーストで回避可能です。

回避以前に、重大な前提が抜けているのでは。ある新しいプラグイン(なり何なり)を導入しない限り、台本コミュニケートに巻き込まれることは絶対にない。また、そのように作られるべきと思う。だから、既存の全てのゴーストで発動しない。新たに何かを組み込まない限り。
なぜなら、

 と。云うか。好意による接触でも荒されてしまう危険性は多いに有ります。

という人は必ずいるし、それはつまりコミュニケートそのものを極力したくない、という層なのだが(次節後述)、彼らを巻き込むことは許されないから。
台本コミュニケートは、その「場」にキャラクターを人身御供としてdedicateする決断をし得た者だけを対象としたものであって、その「哀しい」合意の上で成り立つ、新しい別の世界になる。はず(w

コミュニケートの「心労」

コミュニケートによる新たな発見や笑いよりも心労の方が大きい、また、あまりにも他のゴーストとかけ離れ、完成度の高い世界観を持っているのであれば、確かにそれは参加しない方がいい、という話。


それを支える技術はどこにもないのに、"AI"が"入力に対するレスポンスとして会話文を返せる"枠組みだけが提供されていた状況が、「建前とはいえ「自ら考える」ためのインターフェースを持ってしまって」いる「理想モデル」だ。しかし、この「理想」は早速

  • 技術的に理想: 入出力を持った(意味解析可能と期待される)系としてのAI
  • ヒキコモリ的理想: 中身をブラックボックス化したI/Fにより、他の干渉を受けない

の二つの意味に取られ始めている。だが、後者の「理想」は、果たして本当に実現されていたのか。様々なゴーストの投げてくるメッセージの応答文を書きながら『おめーら、乳ネタ出してりゃいいと思ってるだろ』 と思ったゴースト作者は、果たしていなかっただろうか。自分の吹き出しさえ守れば全て守れるということはない。一方向でも双方向でも、コミュニケートあるところ齟齬は必ず起きる。それを修正していく努力が本物のコミュニケートだろう。それを「荒らし」「心労」と言ってしまえば、まあそうかもしれないし、そう本能的に思えてしまうのであれば、触らないが吉だ(本能は信用した方がいいですね。さもないと体を壊します)。台本コミュニケートは不参加の自由をデフォルト不参加で認めるはずなので。

Road to the Script.

先日の一節に、既存コミュニケートとの対比という観点で補足しまつ。微妙に今の流れから外れるコメントになるやも。暇な人だけ読んで下さい。


台本コミュニケートの(少なくとも私が2年以上前から内輪で言い続けている)直接の狙いは、動作を限定するかわりに技術的コスト/敷居をどかんと下げることにある。
さくらとうにゅうのトーク記述が難しいという人はあまりいない(余計なことをしなければ)だろう。だが、コミュニケート記述は極端に難しい。それもそのはず、そもそもこの世に存在しない技術を前提とした枠組みだからだ。
あまり認識されていないと思うが、技術的にはキーワードセットによる分岐は完全に汎用でなければ「理想モデル」である意味がない。キーワードセットは、ちゃんとした意味解析(まだソフトウェア実装はこの世に存在しない)の、次善の次善の次善の次善の次善ぐらいの策(正規表現は、次善の次善の次善の策ぐらい)としての実装なのだ。つまり、「ある意味内容をぶつけられたら、こういう意味内容を返す」のが、本当の理想モデルの動作である。今、そんなことが出来ているゴーストはどのぐらいいるのだろう。ていうか、いるわけないじゃん。出来たらMITで教授になれる。だからキーワードで我慢している。でもそのレベルで出せる汎用性と妥当性は極めて貧弱だ。
現在の枠組みを使った一つの解は、無脳的アプローチだ。意味内容の記号化や深い整合性を諦め、偶然とデータに頼って会話の面白さを生み出す。IRCチャンネルに複数のbotを放り込んだのと同じで、まゆら世代のゴーストはこれに近い考え方を持っていた。このやり方は「あり」だ。

ちなみに、まゆらの持つキーワードはとても少ない。まゆらにとって、あらゆるメッセージは理解不能なバルカン語並みの扱いになる。当時のPCでは複数ゴーストを立てるのはかなり重かったし、旧華和梨で下手にテーブル地獄に陥るよりは、すっぱり諦めた方がリーズナブルでもあったからだろう。馴れ合いが面倒だったというのもあるかもしれない。勝手な推測だが。

だが、現在メジャーに行われているのは、特定のゴーストの特定の台詞を検出して、それに対する返答を返すというものだ。当然、事前に相手の台詞を作者が読んで、それに対する答えを埋め込んでおくのである。全ての台詞は作り込みになっていて、予定調和である。共同制作であるだけで、台本と全く変わらない。さくら対うにゅうのトークが、ゴースト対ゴーストのトークに拡張されただけだ(そしてそれがかなり面白い)。しかし、その割に制作にかかる手間が多すぎるため、実際に動いているデータ量はほんのわずか。そして、かなりが「Aが発言>Bが返答」の二段で終わる。これではユーザは面白くないから、わざわざPCに負荷をかけてまで複数ゴーストを立てなくなる。ゴースト同士の会話という面白げなフィーチャは、こうして負のループにはまって忘れられていく。
要するに、さくらとうにゅうのトークとゴースト間コミュニケートは、起きることはほとんど同じであるのに、余りにも違う考え方で動いていて、結果として余りにも違う末路を迎えているのである。
だから、「じゃあ最初から台本でいいじゃん」、となる。ゴールは、技術的敷居を下げることで、トークの数を増やし、負のループを正のループに変えること。下げた敷居が(SSでもないのに)空ちゃんを卒業させるような腐れ(ちよちゃん、殴っていいよ)を通してしまうなら、そこをフィルタリングする仕組みは開発・進化の過程で重要視されるだろう。ていうか、既にされてる。
実装の善し悪しはもちろん非常に重要で、結局のところ現実にはそれしか評価されまい。しかし、ゴールの正否とはまた別であり、スタート時点で評価可能なのはゴールでしかない。困ったことだ。両方をバランス良く見てもらえるといいのだが。


グループ創作SSを最初に挙げたのは、一面では誤解を生みやすかった。既存のゴーストを使って、「動く二次創作SS」を作るのかと思われてしまう。私が最も優先して想定するのは「ゴースト間トーク」のみであって、「学芸会モード」、特に、「ゴースト作者以外が他人のキャラだけを使って寸劇」は、個人的には対象にしていない。先日の説明でも書いたが、大もとの企画も、自分のメインキャラクターがきちんと存在する(自分を公開するリスクを負う)のが前提になっている。
「学芸会モード」は、配信系も考えるとBottle+DSSTPみたいな話で、確かにそれも面白いなとは思って考慮もしたが、やはり心理的抵抗を考えると「私は」おおっぴらにpushはしない。それとて、ボトラやSSP部隊にすればちっとも新しくないアイデアだろうと思うし、実装しちゃっても全然問題ないし、実装するときっと面白いと確信してるけど。


これで、より広いトーク記述の可能性の話と、技術的な妥当性の話が一通り書けた(かな)。……もう一つ何かあったと思うんだが、思い出せない……(^^;。ナラトロジーとかじゃないよな……なんだっけな……ああ、GPMの群AIの話かな。でもまあ……大体予想つくよね。うにゅうマンセーみたいな。Belief, Desire, Intentionとか、いまさらやりたい? やりたくないよねぇ。GPM的な記号着地なら、頑張ればユーザを巻き込んだシナリオだって書けると思うんだけど……まあ今はいいか……。あと、「哀しい」話の延長(逆?)で言えば、もっとゴーストってバカで良いと思うんだが。まあそれも今はいいか……。

(こう言うことを、先頭切ってやってくれそうなのが、wat 氏だったんだよなぁ……)

ご明察。
ゆえに、さとー氏はこのタイミングでキレた訳です。たぶん。


Trackback bookmarkletFirefoxだと動かない……何か文字数制限っぽいのに引っかかってるっぽ。

毒味噌倶楽部

独身三十路。
誕生日コメントありがとうございました。

  • akira_you氏
    • 修論がんばって、って漏れごときが言うことじゃないっすね。
  • 宏方さん
    • ベルギーゲームビリヤード屋(何)目指して共にがんばりましょう(w
  • 結村さん
    • SSマダ━━(・∀・)━━?
    • 腰痛て。いやもう、私が言うのもなんだけど、健康になろうよ。